ご近所のowl美術研究所では人物クロッキー会が水曜日の夜にほぼ毎週行われています。
仕事が休みの日には筆を持って描きに行ったりします。
若い頃は勉強というかトレーニングという意味でがんばってましたが、今は単純に楽しみに行ってます。
描材は木炭粉をアラビアガムで練ったものを適度の水で溶いて、筆を使って10分や5分といった短い時間で一気に描いています。
絵を描き始めるようになって30年以上になりますが、花はどうも描く気が起こらずにいました。「花なんて」という言葉でもって逃げ道をつくっていたんでしょう。
自信がないっていえばいいのにね。
そんな私だったのですがここ数年、花がモチーフとして気になりだしているのです。
その気持ちに素直になろうと写生に出かけたりしています。
仕事と仕事の間にひょいと描きに行くというようないい加減なもので、モチーフはいつも自転車や徒歩で行くことのできる近所に咲いている花ということになります。それでも季節ごとにあれこれと咲いているもので、続けていると花の個性というか、違いがなんとなく見えてきてうれしくなります。
ふとした気づきがあって、その現場での写生から私の制作は始まるのですが、ちょっと描いただけでは自分が何にひかれているのかなかなかはっきりしません。
強い日差しのなか川は流れ、河川敷には草が茂り、木陰のない土は乾いて白く感じます。
アトリエに帰って、写生を見ずにまずあたってみたのがこの小下絵です。
こんな感じだったかなと、描こうとしている様子をおもい浮かべながら筆を進めます。
2001年、54回 晨鳥社展に出品しました「つつまれる」(100S)という作品で私は初めて少女を描きました。
モデルをしてくれたのは小学生のアサちゃん。
私どもの児童教室に通って絵を描く女の子でした。
アサちゃんはお花一輪を描くのにもたっぷり時間をかけていました。おもうように手が動かなくても絶対諦めることなく画面に向かっているのです。
こんなに一生懸命絵を描くひとがいるんだ、と私は感心しました。
白い衣装で草原に座ってもらったことがあります。
「修行」をおもわせるような絵になり、私のイメージとはちがうものになってしまいました。
実際描いてみると頭で考えていたのとは違うものです。
京都府の企画する「こころの京都百選」という展覧会に出品する作家として私も選んでいただきました。
文化芸術室の方がお見えになってこの展覧会のことをお話しくださいましたのは2011年11月でした。うれしくて心が躍るようでした。お受けするも何も、こんな光栄なことはありません。
制作には各作家ごとにテーマがあるんですが、と芸術室のFさん。
そのとき私に渡されたテーマが「僧侶」でした。
まったく予想もしていない展開です!
電車と道路を隔てるフェンスに草が絡みついているのが目にとまりました。
つる性の草です。
よく見るともうひとつ、背の高い草。
フェンスの上には有刺鉄線。
痛々しくて、まるで自ら望んだ磔刑ではないかとおもいました。
向こうには青空がひろがっていました。