2001年、54回 晨鳥社展に出品しました「つつまれる」(100S)という作品で私は初めて少女を描きました。
モデルをしてくれたのは小学生のアサちゃん。
私どもの児童教室に通って絵を描く女の子でした。
アサちゃんはお花一輪を描くのにもたっぷり時間をかけていました。おもうように手が動かなくても絶対諦めることなく画面に向かっているのです。
こんなに一生懸命絵を描くひとがいるんだ、と私は感心しました。
彼女が制作する姿を見ていると、私の気持ちは押さえがたいほどの感動へと変わっていきました。
アサちゃんをモデルに描かせていただきたいということを、おもいきってご両親に伝えたところ、こころよく受け入れてくださいました。その後、アトリエに来てもらったり、こちらから伺って彼女が絵を描いているところや、お部屋でのんびり過ごすところをスケッチさせていただきました。
スケッチを重ね、構想を練るうち、草のにおいのような優しい空気のなかに包まれている彼女の姿を描こうとおもいました。
ひとにお顔を見られることをあまり好まなかった彼女は遠くを見ているようにしよう。
アサちゃんが色鉛筆などを持ち換えるときなど、指一本一本がそれぞれに動くような感じです。鉛筆を持つことでさえ、彼女には私たちが想像する以上にたくさんの力が必要だったのかもしれません。
足を折り畳むようにぺたんと座り込み、片方の膝を立てていたアサちゃんは、その姿勢が一番楽だったのかもしれません。
この絵は、そういったアサちゃんの表情をなんとか絵にできないかと描いた作品です。
お母さまから「アサは28才の人生を終えました」という知らせをいただいたのはお盆のころでした。5才のときに病気が見つかって、お医者さまからこの病気は若くで亡くなる方が多いと伝えられていたそうです。
一日一日を生きることがけっして当たり前なことではない毎日を、アサちゃんは過ごしていたのです。
私は写真でしか見ることができませんでしたが、シンクロもがんばっていたそうです。
お母さまにお会いするのも辛く、先日やっとお線香をあげさせていただきました。
壁にはアサちゃんがモデルをつとめてくれたこの絵がかけられていました。
アサちゃんが描いたガーベラです。
鉛筆だけで描いたお花。
教室にある古時計を何日もかけて描いた水彩画。
実家を離れて川崎に一人暮らす長男の22才の誕生日に、私ははじめて彼宛に手紙を書きました。
コメントをお書きください
しお (火曜日, 04 12月 2012 11:44)
ゆういん先生、こんにちは。
心の中にしまっておきたい様な大切なお話を書いて下さって
どうもありがとうございます。
アサちゃんにとってゆういん先生の教室で絵を描くという事は
自分を表現する大切な時間だったのでしょうね・・・。
アサちゃんの絵からは「一生懸命」という気持ちが伝わって
来ます。
ゆういん先生の絵のモデルになる事も、アサちゃんにとっては
嬉しい事だったのではないでしょうか。
背中を丸めた少女の絵、とても温かく優しい作品ですね。
28歳で亡くなられたアサちゃんのご冥福をお祈り致します。
しお (火曜日, 04 12月 2012 11:44)
ゆういん先生、こんにちは。
心の中にしまっておきたい様な大切なお話を書いて下さって
どうもありがとうございます。
アサちゃんにとってゆういん先生の教室で絵を描くという事は
自分を表現する大切な時間だったのでしょうね・・・。
アサちゃんの絵からは「一生懸命」という気持ちが伝わって
来ます。
ゆういん先生の絵のモデルになる事も、アサちゃんにとっては
嬉しい事だったのではないでしょうか。
背中を丸めた少女の絵、とても温かく優しい作品ですね。
28歳で亡くなられたアサちゃんのご冥福をお祈り致します。
you-vi (水曜日, 05 12月 2012 10:02)
しおさん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
しおさんにもそう言っていただいてほっとしています。
アサちゃんのお母さまにこういうことを書いてもいいかとお尋ねしたところ「アサは喜ぶとおもいます」と快諾してくださったので、アサちゃんの絵とともに公開させていただくことにしました。
アサちゃんの絵は私のなかにぐっと入り込んで勇気づけてくれるのです。